集団的自衛権?とっくに行使している 倉山満 「誰が殺した?日本国憲法」 感想

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 倉山満先生の初めての単独著書。東日本第震災直後に出版された本です。「嘘だらけ」シリーズの軽い語り口とは違い、ちょっと文章固めです。日本国憲法の三大原則と言われている「平和」「人権」「民主主義」。それを信じて裁判なんかしたらどうなるか、といった、運用面の問題から、日本国憲法の制定の成り立ちなどがとてもわかりやすく書かれています。

 私は、倉山先生の動画や著書に触れる前から独学で憲法の勉強をしていたのですが、自分の理解がいかに条文にとらわれているだけの浅いものだったのかと、今は恥ずかしい思いでいます。

 憲法には成文化されたものと、そうではないものがある。およそ国家というものがあるならば、成文化されている、されていないにかかわらず存在するもの、ということは知っていたのですが、それならば、なぜ日本国憲法が、日本の文化、伝統にそぐわないものであるのかに関して気づかなかったのか、なぜ伊藤博文は大日本帝国憲法を十年物歳月をかけて作り上げたのか、それに思い至ることがなかったのです。

 勉強って、ただただテキストを読むようにしてやるだけでは理解が深まらない、優れた著者の作品などに触れながら、自分との違う意見を取り入れつつ進めていかなければならないのですね。

 今話題の集団的自衛権のことにも触れられていますが、もともと持ってるものなんだからそんなの当たり前でしょ?ということです。

 まあ、国内に他国の軍隊の基地があるのに、集団的自衛権がないってどう考えてもおかしいですよね。それにもともとあるという前提で、日米安全保障条約は結ばれているのですから。調べていただければすぐにわかるのですが、まず、サンフランシスコ講和条約の直後に結ばれた旧安保条約の前文に「両国が国際連合憲章に定める個別的又は集団的自衛の固有の権利を有していることを確認し、両国が極東における国際の平和及び安全の維持に共通の関心を有することを考慮し、相互協力及び安全保障条約を締結することを決意し、よって、次のとおり協定する。」とはっきり書かれています。

 新安保でも同様です。アメリカも日本が集団的自衛権を保有していることを認めているということですし、集団的自衛権があるからこんな条約が結べたのではないのですか?そもそも、個別的自衛権も集団的自衛権も国連憲章に明記されているのですが、国際法というのは条文があるなしにかかわらず、共通のルールとしてもともと存在していたものが見いだされたものだという考えなので、それを無視した憲法を作る時点で文明国としてどうかと思われます。憲法上認められないという内閣法制局の昔の解釈がどうかしているのではないでしょうか。

 もともと、占領下で作られた憲法で、占領が解かれた状態では運用がむずかしいので、憲法を改正するのがよいと思う(自主憲法制定がベストだと思う)のですが、それには怖ろしく時間がかかる、しかも今の日本はそんなものを悠長に待っていられるような状況にない、それで解釈変更ということなんでしょうけど。解釈変更ではなく、もともとの解釈に戻す、で良いのではないでしょうか。

 これから、憲法解釈や憲法改正に関する様々な意見が国会でもなされると思いますし、報道でもなされるでしょう。それを理解するには、私たち国民が当事者として憲法というものを考え、学ぶことが必要だと思います。憲法改正論議に関しては、やはり倉山先生の著書の「間違いだらけの憲法改正論議」というわかりやすい本がありますので、そちらの感想も近々UPしたいと思います。

 ※こちらの記事は平成26年2月27日に書かれたものです。