倉山満 桂太郎ー日本政治史上、最高の総理大臣 感想

倉山満 桂太郎ー日本政治史上、最高の総理大臣 感想

今求められる総理大臣像とはどのような人物なのでしょうか?

不平等条約を押し付けられた我が国日本を、列強と並ぶ大国にのし上げた名宰相、桂太郎。
桂の若き日から非業の最後まで、そして桂が描いた未来と今後に続く課題までが書かれた、まさに「どうなるかではなくどうするか」を考えるための倉山満先生の新著です。

桂太郎とはどのような人物なのでしょうか?
人心掌握にたけ、ニコッと笑って肩をポンと叩いて人を籠絡させる「ニコポン政治家」。
第一次内閣の時は、伊藤博文や山県有朋などの維新第一世代が一人もいなかったため、「二流内閣」と揶揄されます。
第三次内閣は勅語を乱発し、「天皇の政治利用」と批判され、官僚を操り、議会工作をしたことでさらに反感を買い、護憲運動により、わずか62日で大臣に追いやられました。

しかしながら桂が総理大臣だったときに成し遂げたものは
○日英同盟(1902年)
○日露戦争勝利(1905年)
○日韓併合(1910年)
○条約改正による、幕末以来失っていた関税自主権の回復(1911年)
と一つでも成し遂げたら大偉業となるものばかりです。
何故このようなことが桂にはでき、そして現在の総理大臣大臣にはできないのか?

この本を読んで、総理大臣にとって本当に必要なことは決断し、やり切る力なのではないかと思いました。
日露戦争は「北緯39度以南にロシアを来させないための戦争」であった。
戦闘の勝利に惑わされることなく、目的は達成しましたが、国民の命など多くの犠牲を払ったにもかかわらず、賠償金は得られず、批判を浴びることになりました。
それをわかっていても桂はやりきりました。
それが本当に日本が生き残るために必要なことだったからです。

総理大臣になる前、桂が第三師団長として名古屋に赴任していたとき、桂は濃尾地震(1891年)の際、国民を救うために、独断で兵を動かしました。
天皇陛下の軍隊を無断で動かすのは当時でも憲法違反に当たります。
辞表を書いた上での行動で、保身より人命を優先しての行動でした。
クビになってもおかしくないない行動ですが、明治天皇からお褒めの言葉をいただき、辞表は却下されました。
現在、このような状況が起こったとき、知事の要請もなしに、国民の命を救うためといって自衛隊が独断で動いたとしたら、どのようなことが起こるのでしょうか。
軍隊と自衛隊では組織として根本的に違うところがありますので、簡単な比較はできませんが、桂は自身の責任として、人命を優先してやり遂げました。
現在、そのような覚悟を持って動ける政治家が一体何人いるのでしょうか。
この本を読み終わった6月5日。
拉致被害者である横田めぐみさんのお父様の滋さんがなくなりました。
保守の人の多くは憲法9条があるから、日本は軍隊を持てないし、拉致被害者を取り返せないと言います。
嘘です。
それではなぜ小泉政権の時、5人とはいえ拉致被害者を取り返せたのでしょうか。
国政情勢を見て、政治家が決断し取り返す方法を模索してすべきでしょう。
そもそも日本国憲法を守っているからというのなら、なぜ今回の新型コロナウイルスの件で、緊急事態宣言が出せたのでしょうか。
もちろん、宣言を出しただけで国民が自粛をしただけだということは言えるでしょう。
では、どのような憲法上の理屈で国民の移動の自由を制限したり、自粛要請に従わなかった店を晒しあげのように名前を公表したりしたのでしょうか。
結局憲法を変えなくても、政治権力でかなりの国民の行動を制限できてしまう、日本の総理大臣はそれほどの権力を持っています。
その権力は国民の福祉や我が国を守るためにに使われるべきであって、国民を苦しめるためのものではないはずです。
自粛して欲しいのなら、それだけの補償を前もってしてからすればよかっただけのことです。
今回の自粛で今後生活苦に陥った人たちが、倒産などによる失業による補償や、生活保護の申請によって使われるお金。
それを考えれば、先に配るか、後に配るかの話で、今回の自粛のせいで起こる社会不安やそれに伴う経済苦による自殺者の増加のことを考えれば、どのようにお金を使うかで、今後の経済成長のみならず、国力にも関わって来るはずです。

桂太郎は第二次内閣のとき、大蔵大臣を兼任しています。
自伝には「首相たるものは、大蔵大臣となってその難局にあたる決心がなければならない。」と書かれているそうです。

安倍総理のことを、「経済がわかっている」と擁護する人たちがいますが、わかっているならなおのこと、デフレ化で二回も消費増税して、公約だった景気回復もままならず、リーマンショック後の経済回復に大失敗した政権の総理大臣だった麻生太郎をずっと財務大臣にしているということが度し難いのです。

現在の問題は、多くの日本人や、自民党員自身が、自民党以外に政権担当能力のある政党がいないと思っているために、与党が何をしても政権交代することがないため、国民に負担を強いるような政策が通ってしまうことだと思います。
桂の時代にもそのような問題を抱えていました。
桂太郎と西園寺公望が交互に政権を担当する桂園時代はある意味安定していたかもしれません。
しかしながら、藩閥側は権力にしがみつき、官僚のセクショナリズムを体現、原敬と政友会は私利私欲を追求する利権屋集団。
それに嫌気がさした、桂は自ら桂園体制を破壊し、立憲同志会を立ち上げました。
桂の死後、「憲政の常道」と言われる二大政党制時代が到来したものの、その後、その体制が崩れ、大政翼賛会に。
戦後はマッカーサーにより、日本進歩党所属の代議士の9割に相当する260人が公職追放され、社会党が躍進。
結局、55年体制という政権与党は自民党、野党が第一与党の馴れ合い体制に。
その後、様々な政変があっても、結局は多くの間、自民党が与党の状態です。

マッカーサーによって、日本進歩党が潰され、社会党が躍進したのは、外部からの悲劇ですが、今はもうそれから70年以上経っているのです。
そろそろ本当に日本人の手で、与党がおかしなことをしたら、政権から引きずり下ろせるような体制を作り出さなければなりません。

ようやく新型コロナウイルスによる、全国民的な自粛は終わりました。
しかしながら、今後は自粛期間で冷え込んだ経済による倒産、それに伴う失業の拡大などの問題が大きくなっていくと考えられます。
今だからこそ、真に国民を想い、そのために働く政治家が、総理大臣が欲しい。
そのためにはまずは国民が賢くなり、そのような政治家を選ばなければならない。
今こそ必読です!