倉山満 天皇がいるから日本は一番幸せな国なのです 感想

倉山満 天皇がいるから日本は一番幸せな国なのです 感想

倉山満先生の天皇、皇室を主題とした本は『日本一やさしい天皇の講座』『国民が知らない 上皇の日本史』『明治天皇の世界史 六人の皇帝たちの十九世紀』に続き、これで4冊目。

初めてタイトルを聞いたときは、「倉山先生の本なのに日本礼賛本?」と思いましたが、勿論そんなはずはなく。
しかしながら、一番幸せな国 日本をこれからも守り続けていくために、大事な教養が詰まっています。

・王様のいる国は今時古い?では大統領制の国は幸せなのか

日本は立憲君主を戴く世界最古の国です。
今年は皇紀2680年、神武天皇が実在したかなどわからないという人もいますが、古事記や日本書紀の編纂が始まったころから考えても1300年以上も皇室は続いています。
世襲で君主を決めることを好ましくない、選挙で選ぶべきだという声が上がるのもわかります。
我が国でも列強に不平等条約を押し付けられ、それを改正していく過程で、共和制を取った方が良いのではないかとの議論があったそうです。
それに関しては江崎道朗先生の『天皇家百五十年の戦い』(2019 ビジネス社)でも書かれています。

序章 世界の国家元首いろいろでは様々な国の歴史や現在が書かれています。

王政をやめて悲惨な殺し合いが起こったカンボジアやフランス。
実は世界最弱の権力者であるアメリカ大統領。
大統領が悲惨な末路を迎える韓国。
政治的な権限を持たない大統領が存在するドイツとイタリア。
第一章から詳しく書かれていますが、日本の天皇は嵯峨天皇以来、天皇は自らの権限を手放した存在です。
中世のヨーロッパなどの専制君主とはまるで違います。
マグナカルタで理想としたものの、それに至るまで何百年もかけて専制君主から、現在の立憲君主へとイギリスは変化していきましたが、日本はそれよりはるか前に達成していたのです。
なぜ王政を廃止した多くの国が悲惨な目にあうのか?
それは歴史や伝統を捻じ曲げる行為だからではないでしょうか。
変化を悪だと言っているのではありません。
変えることが必要なことも多々あると思います。
しかしながら、長く続いてきたことはそれなりに理由があります。
それをその時代に生きていた人達だけの考えで変えてよいことなのかの議論は慎重に行われるべきでしょう。
「現在は男女平等だから、女性天皇も女系天皇もOK」などと短絡的に考えることが如何に恐ろしいことか。
歴史に学ぶことは本当に大事だと思います。

・大日本帝国憲法下と日本国憲法下の天皇は何が違うの?

大日本帝国憲法では天皇主権だったが、日本国憲法では国民主権になったと学校で教わります。
では天皇主権とは一体なんでしょうか?
先ほども述べた通り、日本の天皇は嵯峨天皇以来、自らの権限を手放した存在です。
明治維新から敗戦までの天皇は専制君主だったのでしょうか?
大日本帝国憲法を読むと、天皇の統治権について書かれていますし、軍隊も天皇が統帥するとなっています。
誤解のある条文ですが、第三条「天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス」は天皇が神であると言っているわけではありません。
帝国憲法の解説書である『憲法義解』「統治ス」は「シラス」であることがわかります。
「シラス(治す)」は治めるという意味の古い言葉ですが、「ウシハク(領く)」とは違います。
「ウシハク」は領有し、支配すること。
天皇の統治とは支配することではなく「シラス」、民を富ませて慈しむことが天皇の統治であると憲法義解で解説されています。
帝国憲法にも天皇主権などという言葉はありませんが、なぜそのような誤解が生じてしまったのでしょうか。
戦前から主権が天皇にあるのかといった論争はありましたが、その意見には否定的な学者が多かったそうです。
しかしながら天皇親政説を唱えた穂積八束やその弟子の上杉新吉たちが、『憲法義解』の歴史感を受け継いできた美濃部達吉を攻撃。
後に「天皇機関説事件」で美濃部は追放され、上杉の唱えた「統帥権の独立」は拡大解釈されて都合よく陸海軍に利用されます。
しかしながら天皇親政を叫んで行われた二・二六事件を見ても、結局は本当に天皇を崇拝しているわけではなく、都合よく天皇を利用して自分が権力を握りたいだけだということがわかります。
こちらの著書では「立憲君主」「傀儡」の違いについても書かれています。
「立憲君主」とは自ら権限を手放した人。
「傀儡」は権限を持っているのに振るわせてもらえない人。
天皇親政を叫ぶ人達のやりたかったのは、天皇を傀儡にすることなのでしょう。

では大日本帝国憲法下の天皇も日本国憲法下の天皇は何が違うのでしょうか。

日本国憲法では元首規定が無くなり、天皇は「象徴」である。
しかも「国民の総意に基く」とされていて、解釈を誤れば国民投票でもして天皇をなくすことができると思う人が出るかもしれません。
マッカーサーノートの段階では「元首」だったものが、「象徴」と変わっても、本質は「元首」も「象徴」も同じ意味だったはずです。
それを憲法学者の宮澤俊義は天皇を「ロボット」と表現しました。
GHQすら想定していなかった「象徴に貶める」ことは実は日本人によってなされたものだったのです。

宮澤俊義については、やはり倉山満先生の著書『東大法学部という洗脳』を読んで頂くと理解が深まります。

結局、天皇が「元首」であろうと「象徴」であろうと、平時における天皇の本質は戦前も戦後も変わっていないといえます。
では、何が違うのか?

帝国憲法では第一条から第四条で、天皇が日本国の本来の持ち主であることを歴史として確認しています。
有事の際は、本来の統治権者として天皇が秩序を回復します。
終戦の時も、政府は存在していたのにも関わらず、時の首相である鈴木貫太郎が、その決断を天皇に仰ぎました。
国が滅びるかどうかという時の大事な決断を本来の日本国の持ち主である天皇が下したのです。
しかしながらその有事の際の規定が日本国憲法にはありません。
憲法9条の問題より、そのことが日本国憲法の一番の欠陥ではないかと思わざるを得ません。

・皇室を守るために私達が出来ること

日本国憲法下では宮澤俊義などの東大憲法学者により、「象徴」「ロボット」に貶められてしまった天皇。
しかしながら、平成28年8月8日の天皇陛下のお言葉を聞いたとき、多くの国民は「陛下のお心のままに」と譲位に賛成し、一部のおかしな保守達が阻止を図りましたが、そんなものは何の力もなく、共産党すらも賛成した状況でスムーズに天皇の退位等に関する皇室典範特例法が成立しました。
では、日本国憲法に毒を混ぜたものたちは、降伏したのでしょうか?

今回の譲位に伴い、何が行なわれたのか。
なぜか皇太后という呼び名があるにもかかわらず、「上皇后」などという新しい称号を作り、こともあろうに新元号を改元前に公表するという、元号が使われるようになって一度も行われたことのない暴挙が行なわれました。
しかもその公布の御名御璽を今上陛下ではなく、当時在位中の上皇陛下に頂くという。
なぜこのようになったのか?
内閣法制局が、新天皇に公布させるために先送りするのは、改元手続きで天皇に配慮すると、天皇の政治的関与を禁じる憲法に触れるおそれがあるとの見解を示したからです。
では一世一元の制に一体何の意味があるのでしょうか。
内閣法制局の天皇に関する憲法解釈によって、儀式を簡略化したり、大嘗祭に使われる鳥居を移動式にしたりといった暴挙も行われています。
もともとの内閣法制局の役割は、法案や法制についての調査です。
憲法解釈によって、皇室や国を弱体化させるための機関ではありません。
しかしながら、その内閣法制局の解釈に対して政治家が何も出来なければなすすべもありません。

それを変えていくには、政治家を選ぶ国民自身が賢くなること。
そして、賢く強い政治家になる若い人を育てることではないでしょうか。

皇室を守るために私達の出来ること。
日本の歴史は皇室の歴史であること。
皇室は先例を重んじるということ。
今生きている人だけで物事を考えるのではなく、先人の積み重ね、そして未来に生きる人を思い、決断や行動をすること。
それが出来れば、なぜ女系天皇では駄目なのかは明らかになるはずです。

こちらの本を読んで改めて、学び続けること、そしてそれを発信し続けることの大事さに思い至りました。
倉山満先生の皇室に対する今までの発言が濃縮された一冊です。
是非読んで頂けることを願います。

 

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