宮澤俊義は生きている~倉山満 東大法学部という洗脳 感想

皆が待っていた倉山満先生による宮澤俊儀の本。

表紙からすでにおどろおどろしさを感じますが、ページをめくると

はじめに~ほら、宮澤俊儀は生きている!

ホラーです。。。

とはいえ宮澤俊儀その人の知名度はどの程度なのでしょうか。憲法を学ぶ人たちならともかく一般知名度はかなり低いのではないかと思います。

その名前を意識することはない、しかしながら宮澤俊儀は確実に生きている。

それがとてつもなく怖いのです。

我々が使う教科書の中に、公務員試験などの各種試験問題に、そして政府や国会議員も逆らえず、天皇に配慮したら憲法違反になるなどといった憲法解釈を一手に握っている内閣法制局に!

日本のリーダーになるためには宮澤の考えた宮澤憲法学を学ぶことは避けられません。

自分は一般人だから関係ないと思っていたら甘い!

我々の生活にまつわる様々な法律。その最高法規は憲法です。

何らかのトラブルに巻き込まれ、訴訟を起こしたとします。それに判決を下すのは裁判所です。

裁判所は何を基準にして判決を下すのか?宮澤憲法です。

裁判所は、最高裁は人権を守るのか?

それに関しては倉山満先生の『誰が殺した? 日本国憲法!』や門田隆将氏の『裁判官が日本を滅ぼす 』に詳しいので是非そちらを読んでいただきたいのですが、裁判所も宮澤憲法学の価値観に縛られています。

我々が日本国に生きている限り、宮澤の呪いからは逃れられないのです。

 宮澤俊儀とはいったいどのような人物なのか、こちらの本では宮澤の人物像、戦前、戦中、戦後の言説の変化など様々な視点で描かれています。

〇宮澤俊義は真人間か変節漢か

若い頃の宮沢俊義は勉強熱心な学歴秀才。東京帝国大学法学部卒業後は憲法学の頂点をきわめていた美濃部達吉博士の弟子に。

助手の間に日本一のフランス憲法の専門家と言っていいほどの勉強をし、フランス憲法のみならずアメリカ憲法、ドイツ憲法、イギリス憲法にも習熟していきます。

地道に憲法を学び論文を発表をしていた宮澤ですが、師匠の美濃部達吉博士が天皇機関説事件で糾弾された時のその態度。この時だけを見れば宮澤は保身に走った、宮澤は小心者だと勘違いされかねません。 保身に走ったのはその通りなのでしょうが、戦後、宮澤が日本国憲法下で憲法学の権威として君臨するようになることを思えば、この辺のエピソードは非常に不気味です。勝てないときは首をすくめて大人しくしている。しかしながら機を見て途端に牙を剥く。

変説ではないのでしょう。八月革命説など敗戦のどさくさで言いだしたのかと思いきや、決してそうではなかったことを倉山先生は本書で解き明かします。

◯八月革命説とは何か

憲法を学ぶ人ならおなじみのこの学説。そうでない人にはさっぱりわからないものでしょう。学んでいる人間にとってもわけがわからないことには変わりがないのですが。

かなり端折って説明すると、「昭和二十年八月十五日に革命のようなことが起こって、日本は天皇主権から国民主権になりました。本当は革命など起こっていませんが、革命としか呼ぶしかない!だから八月革命だ!」みたいなものです。なんだこれは?

本書では宮澤の主張を、八項目に分けて順を追って説明されています。是非読んでいただきたいのですが、はっきり言って詭弁です。実際に革命は起こっていませんし、天皇主権から国民主権になったとの説明にも無理があります。

「八月革命説」の前提に、戦前の「改正限界説」があります。大日本国憲法下では帝国憲法第一条から四条に規定されている二大原則「天皇の統治権」と「天皇の神聖不可侵」は変えてはならないというこの東大憲法学の学説が主流でした。

「変えてはならないこと」が「変わった」。だから「革命」なのです。

ちなみに京都学派は「すべてのことは改正の対象となる」という「改正無限界説」をとっていました。変えてはならないとは言っても、国民の多数がそれを選べば変えることは防ぐことはできないという考えです。彼らは「八月革命説」は否定し、日本国憲法は帝国憲法の改正憲法であるという「改正憲法説」の立場を取っています。

今回、なぜこれを取り上げたかというと、こんなものに騙されていては憲法改正など夢また夢だからです。

改憲派の人達は、「こんなものは信じていない」と言うかもしれません。そもそも知らないという方も多いでしょう。

では、平成28年の8月8日の陛下のお言葉で、多くの保守派、皆、改憲派でしたが、彼らが何を言ったのか。

「天皇陛下のお言葉で法律が変わるのは憲法違反だ!」「摂政で事足りるのだから譲位などするな!」

あの時、陛下は、お気持ちを述べられた上で、「皆で考えて頂きたい」とおっしゃったのです。「譲位したいから皇室典範を変えろ」などとは言っておられません。陛下のお言葉に影響されて、国民が法改正に動くことが憲法違反だとは、まさに宮澤の「天皇ロボット説」ではないでしょうか。

「天皇ロボット説」とは『全訂 日本国憲法』に書かれている、天皇は何らの実質的な権力を持たないめくら判(ママ)をおすだけのロボット的存在だとする宮澤の説です。

「八月革命説」とはまた違うだろうと思われるかもしれません。しかしながら、憲法を本来の意味で理解していれば、帝国憲法から日本国憲法に変わろうとも、天皇はそれよりはるか昔、我が国が日本と呼ばれる以前から存在していた、憲法より前にある存在だとわかるはずです。それを天皇陛下のお言葉に影響されて法律が改正されたら、天皇の憲法違反だとするのならば、8月15日に革命のようなことが起こって国体が変わってしまったという八月革命説を信じていなければ成り立たないでしょう。

結局、護憲派も改憲派も宮澤俊義の掌の上で踊っているにすぎません。

つい最近のことです。平成から令和の改元。新元号を新天皇に公布させるために先送りしたとなれば、改元手続きで天皇に配慮したことになり、天皇の政治的関与を禁じる憲法に触れるおそれがあるとして、新元号は先の天皇陛下(上皇陛下)の御名・御璽を得て公布されました。その憲法解釈を行ったのは内閣法制局です。これでは一世一元の制などなんのために存在しているのか分からなくなってしまいます。そしてこれこそが、なぜ今、宮澤俊義について学ばなければならないのかという本当の理由でしょう。

◯なぜ今、宮澤俊義なのか

前回こちらのブログで、江崎道朗先生の『天皇家 百五十年の戦い』を取り上げました。

江崎道朗 天皇家百五十年の戦い 感想

皇室はとんでもない悪意にさらされています。本来、皇室をお守りすべき国民、しかも保守を自称する人たちほど、皇室を貶める発言をはばからないような事態になっています。「靖国神社をないがしろにしている」「宮中祭祀を疎かにしている」。すべて何の根拠もないレッテル貼りです。なぜ天皇陛下どころか、首相も公式に靖国神社に参拝できないのか?中国や韓国やアメリカや朝日新聞よりも批判すべき対象があるはずです。靖国神社に対して最高裁がどのような判決を下しているのか、内閣法制局がどのような見解を示しているのか。そして、宮中祭祀に関しても、大嘗祭ですらかつて憲法違反であると内閣法制局が言っていたこと、四方拝のような大事な祭祀も、昭和の時代にはひどく簡略化されていたこと。これらは全て宮澤憲法学に基づいた解釈であることをよく知っておく必要があります。

御代替わりに伴い、秋篠宮家バッシングと愛子天皇待望論が急速に広められています。現在の皇室典範の下では、何事もなければ皇位は秋篠宮殿下、そして悠仁親王殿下へと受け継がれていきます。

しかしながら、悠仁親王殿下がお生まれになる前、愛子内親王殿下が天皇になれないのは良くないと、女性天皇・女系天皇を認めるべく皇室典範改正の議論が進められていました。その時、当事者である上皇陛下は何もおっしゃることが出来ませんでした。国民がそれを理解していなければ、また同じことが繰り返されないとも限りません。

帝国憲法下では憲法と皇室典範はお互いに干渉しない、所謂、典憲体制が取られていました。改正は皇族会議及び枢密顧問の諮詢を経てなされるものでしたが、現在の皇室典範はあくまで憲法附属法であり、一般法と同じく国会で改正できるものになっています。

現在のこの状態は、日本国政府ではなくGHQの意向によるものかもしれません。しかしながら、それを放置し、マッカーサーですら本来元首として規定していた天皇を「単なる象徴」「ロボット」に貶めたのは誰なのでしょうか。天皇を「ロボット」と言ったのは宮澤俊義ですが、その言葉通りに憲法を運用しているものたち、そしてそれに気付かずにいる人たちがどれほど我が国を危うくしているのかを良く知る必要があると思います。

誰も気付かない、未だに生きている宮澤俊義。この存在を周知し、我が国を未だに敗戦国のままにしている本当の敵は誰なのかをあぶり出さなければなりません。外国やマスコミの批判だけしていても何も変わらない。猫じゃらしに反応しても、猫なら可愛いですが、いい大人が本丸を叩かずに「マスコミは反日だ!」などと言ってデモをしても何も解決しません。

大事なのは「どうなるか」ではなく「どうするか」。少しでも、我々が生きているこの世界を良くするためには何が本当のことなのか。本当の敵は誰なのかを正しく見極める必要があります。国民一人一人が賢くなるしか無いのです。猫じゃらしに騙されないためにもこちらの著書を是非オススメします。