江崎道朗 天皇家百五十年の戦い 感想

江崎道朗 天皇家百五十年の戦い 感想

  当ブログでも度々とりあげている江崎道朗先生による著作です。江崎先生はアメリカ保守派や、コミンテルンについての研究が有名ですが、以前から皇室に関する発信も多くなされています。Youtubeにもたくさんupされていますので、是非ご覧ください。どれも素晴らしいものです。

 こちらで紹介したことのある『アメリカ側から見た東京裁判史観の虚妄』でも、敗戦後のGHQの介入に対し、どのようにして皇室を守るかの政府の戦いが描かれていますし、『日本占領と「敗戦革命」の危機』 では、昭和天皇がいかに我が国を守るために戦ったのかが描かれます。日本の歴史は天皇の歴史、戦後は特に我が国を守るための天皇の戦いの歴史とも言えるのではないでしょうか。

●「共和制」か「皇室」維持か

 私たちは学校で、日本は武家社会だった江戸時代から一変、明治になると天皇は所謂「現人神」として崇められ、昭和20年の敗戦まで天皇主権の国だったと教わります。しかしながら、本書を読むと、現実は全く違ったものだったことがわかります。薩長の新政府軍が徳川幕府軍に勝てた大きな要因は、皇室をいただく錦旗を立てて戦った、所謂官軍となったことで、幕府軍の戦意をくじいたことがありました。天皇の権威によって勝ち、新政府を樹立したにもかかわらず、明治初期は、列強に対抗するためには日本も「共和制」にしなければならないのではないという議論が繰り広げられていたというのだから驚きます。

 そんな中で「君民共治」を説いた中江兆民、エドマンド・バークを紹介して、政府を建設することは、現在生きている世代の国民だけの問題ではなく、その国に存在する慣習古法を尊重すべきだと説いた金子堅太郎。我が国が列強に対抗できる大国となり、かつ、国体を護持出来たのは、明治維新で富国強兵を目指した明治の元勲たちだけの力ではなく、列強に負けない国になるために外国の思想を取り入れることだけではなく、我が国の伝統を見失うことのないよう助言した思想家たちがいたことを知れたことは大変良かったです。

 前述した金子賢太郎ですが、帝国憲法の制定にも伊藤博文の助手として関わります。他にも井上毅伊東巳代治と共に、歴史の調査を重視し、大日本帝国憲法は制定されます。こちらの制定過程、当時の人達の想いに関しては、倉山満先生の『帝国憲法物語』に詳しいです。列強に文明国だと認めてもらうのではない、文字のない時代から天皇が民を宝として扱ってきた「我々こそが文明国だ」との矜持を元に作られたのが帝国憲法だったのです。

●「立憲君主」か「天皇親政」か

 私達の教わった「天皇主権の国日本」は、美濃部達吉が国体明徴運動により排撃され、天皇親政をとなえる人たちが発言権を持ってしまったことを発端に、それを利用し、戦前の日本を悪魔化したい人たちによって作られたものだとわかります。皇室の歴史を振り返れば、直接天皇が政治力を発揮した期間は短く、嵯峨天皇以来、天皇は現在の立憲君主に近いものでした。明治の元勲たちも歴史を学んでおり、楠木正成を王政復古を成し遂げた英雄としながらも、後醍醐天皇による建武の新政が失敗に終わったことも理解していた訳です。五箇条の御誓文帝国憲法の制定過程を見るに、明治政府が「天皇親政」を目指していたのではないことが明らかです。それを「戦前は天皇主権の国だった。天皇は独裁者だった」とのプロパガンダをしかけ、天皇が少しでも政治に関われば、戦前の軍国主義に戻ってしまうかのような言論状況にされてしまったことは、まさに歴史に対する「無知」によって起こっているものだと思います。それと戦い、現在の皆に尊敬される「天皇」となられた天皇陛下。皇后陛下に置かれては、失語症になられるほどつらい思いをされたにも関わらず、天皇陛下に寄り添い、ずっと支えてこられたのです。本当に、これからはお体とお心を安らかに過ごしていただきたいと、ひたすら思います。

●天皇陛下は「リベラル」か

 一部の、特に保守論者達は今上陛下のことを「護憲天皇」だの「リベラル」といい、平成28年の8月8日のお言葉に関しては「天皇は俺は疲れた、休みたいと言っている」「天皇が自分の譲位に関して発言するのは憲法違反」、「天皇は個人として話すな」と、まるで皇室の歴史や伝統を無視し、我儘で譲位を望んでいるかのような発言を繰り返しました。「リベラル」の本来の意味も理解していないのでしょうが、「憲法」「憲法典」の違いがわかっていないのもさらに問題です。

 こちらのブログで多く感想を書いている倉山満先生が繰り返し述べていることですが、「憲法」とは国家統治の基本法で歴史、伝統、文化全てを内包したものです。「憲法典」とはそれを文字にしたもので「憲法」のごく一部にすぎません。現在の「日本国憲法」は憲法典で「憲法を守る」とは「憲法の一字一句も変えてはいけない」という意味ではないのです。今上陛下は「日本国憲法を守る」といわれるときに必ず、「長い天皇の歴史を振り返り」、「長い皇室の歴史を念頭に置き」皇室の歴史に触れられています。天皇陛下は正しく「憲法」の意味を理解されていることがわかります。

 そして、天皇陛下が皇室の伝統を無視しているというのは本当に酷い誤解です。ほんの数十年前、昭和五十四年の国会答弁で内閣法制局は、大嘗祭すらも政教分離の観点から国の行事としては行えないなどと言っていました。昭和五十七年には、昭和天皇のお出ましの祭祀が四つにまで制限されていたのです。その憲法解釈を「憲法より皇室が先」と押し戻したのは国民の声でした。 そんなひどい圧力の中、今上陛下は即位後、昭和天皇から伝わった儀式を受け継ぎ、守ってこられたのです。久能靖氏の『天皇の祈りと宮中祭祀』(勉誠出版)によると、天皇陛下は即位されるとすぐに全皇族を集めて専門家から宮中祭祀についての講義を受けさせたのだとか。何をもって一部の保守派は天皇陛下をリベラルだというのでしょうか。

●国民に寄り添い共に生きる意思を示された天皇陛下と皇后陛下

 現在の我が国の歴史問題。それが外部の圧力のみで起こっているものではなく、日本政府のふがいなさ故であることは、前々回の記事『倉山満 バカよさらば – プロパガンダで読み解く日本の真実 感想』にも書きました。特に平成五年の細川護熙首相の「侵略戦争」発言や、その後の村山富市内閣による「終戦五十年の謝罪決議」。政府が、先の大戦で戦った人達を「侵略者」呼ばわりし、遺族を「侵略者の家族」扱いしている時に、天皇陛下が「慰霊の旅」を始め、ご遺族たちに言葉をかけ、遺族会に御歌を下賜されたこと、日本政府がどのような酷い仕打ちをしても、天皇陛下だけは国民に寄り添ってきたこと、多くの被災地を訪れ、復興を見守り続けられていること。本当にひたすらありがたいことだと思います。ご高齢の陛下にとって、日帰りで行われる被災地訪問は相当な御負担になるはずです。国民に寄り添い、共に生きる。その為の相当な覚悟がないと出来ないことです。政府がどのように情けない体であろうとも、天皇陛下だけは国民を思い、行動なさっている。このような素晴らしい方が自分の生まれた時代の天皇だったこと。それだけで日本に生まれたことを誇りに思えます。

 こちらの著書ですが、多く天皇陛下の御歌とその解説が掲載されています。自らも歌を詠まれる江崎道朗先生ならではですが、国民を思う陛下のお心が染み渡るような内容となっています。

●国民統合の象徴とは

 敗戦後、長きにわたって占領軍の統治下にあった沖縄。現在でも多くの活動家が、本土との分断工作を行っていることは知られています。多くの人が家族を殺され、その敵国の軍隊がずっと駐留している。そんな沖縄との信頼関係を積み重ねるために、天皇陛下は皇太子時代からずっと尽力されてきました。

 平成五年の天皇皇后両陛下の即位後初の沖縄ご訪問の時に、江崎道朗先生は現地に入ってその準備に関わっていたのだそうです。先ほども述べたように、平成五年と言えば、政府は歴史問題で失策を重ね、沖縄には大量の活動家が入り込み、沖縄メディアでもずっと皇室がタブー扱いされていた時です。しかしながら、実際に地元の人達と話をすると、皆さん陛下の御訪問を大喜びをされていたそうです。メディアは「沖縄」と「本土」の対立を煽るけれども、現地の人は全くそのような対立構図で考えておらず、天皇陛下が本当に沖縄のことを考えていらっしゃることを皆さん、わかっていたのだとか。両陛下が沖縄に到着された日の夜は五千人もの県民による奉迎提灯行列が行なわれ、陛下も人々の万歳の声に御答えになられたそうです。

 GHQは「日本国憲法」を押し付けた際、散々、天皇や皇室の力を削ぎ落し、皇室典範も改悪されました。現在の日本国憲法第一条「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く」。この条文はなぜか、日本国憲法の教科書では「国民主権」を規定したものだとされ、天皇は二の次扱いされています。しかも「日本国民の総意に基く」の文言から、まるで日本国民が国民投票でもして皇室を廃止できるかのようなことをいう人も出る始末です。しかし、この日本国憲法の中ですら、陛下は「日本国の象徴であり日本国民統合の象徴」として尽力されているのです。しかも並々ならぬ覚悟で。沖縄では皇太子時代、火炎瓶を投げられるようなこともありました。陛下はそれでも何度も沖縄に訪れ、御歌を送り、沖縄を決して本土と分断されることのないよう働いてこられたのです。

●我が国を守るために何をすべきか

 現在、日本国憲法は誤字を含めて一字一句、改正されないままです。今後もとてもではありませんが、改正できるとは思えない状況です。それならばせめて、天皇を、皇室をお守り出来るような憲法解釈がなされるべきだと思います。それには、その憲法解釈を我が物にしている内閣法制局の存在と実態をもっと多くの人が知ることが必要だと思います。

 本日は4月30日。いよいよ平成最期の日となりました。いろんなことがありました。大災害、復興に尽力する方の奮闘、大きな事件もありました。平成が始まった頃はバブル景気でしたが、現在は未だにデフレから本格的に抜け出せない状況が続いています。

 皇室に関しても、陛下の御即位、皇太子殿下のご成婚。敬宮愛子内親王殿下、悠仁親王殿下のご誕生。特に平成28年8月8日の天皇陛下のお言葉から譲位が行われる今日まで、これほど天皇や皇室のことが話題になり、国民全体で考えたことはなかったのではないでしょうか。

 陛下のお言葉を国民は受け止め、特措法が制定され、今日のご譲位となりました。しかしながら、もっと話し合うべきことがあったのではないのでしょうか。今のままでは、悠仁親王殿下の御代には男性皇族が一人になってしまう可能性があります。現在、皇室に関する報道は、天皇陛下、皇后陛下に対する敬意や感謝とは裏腹に、秋篠宮家のバッシングが週刊誌を中心に行われています。

 今後、早急に皇統に関しての議論が政府でも行われると言われています。くれぐれも「皇室の伝統」に基づいた形での議論がなされることを望みます。

 そのためには我々国民が一人一人が天皇や憲法について学ぶことが必要だと思います。こちらの著書は、天皇とはどのような存在なのか、天皇陛下が如何に我が国のために戦ってこられたのかを知るための必見の著です。是非多くの方たちに読んで頂きたいと思います。

〇参考文献