倉山満 『国際法で読み解く世界史の真実』感想

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 倉山先生による国際法の本。タイトルに「国際法」がつくのは「歴史戦は『戦時国際法』で闘え」に続いて2冊目ですね。

 今回のこちらの本を読むことで、今までの倉山先生の著書に対する理解がより深まることは間違いありません。

 前回、感想を書いた『世界一わかりやすい地政学の本』で語られる地政学に関してもそうですが、倉山先生の言論あるいは著書が、他の歴史学者あるいは憲法学者と違っていることの大きな理由の一つが国際法に対する理解だと思います。以前『帝国憲法物語』の感想で「国際法とは慣習法であり、条文化されている、いないに関わらず、それを守らなければ文明国とはみなされないのです。当然、憲法を作る際には国際法に合致するように作られます。それを無視するということは、何度も言いますが、自分たちは文明国ではないと言っているのに等しいのです。本当にこんな憲法が「世界に誇る平和憲法」なのでしょうか。」と書いたことがありましたが、本来憲法を語る上で当たり前の国際法に関してあまりに言及することが少ない。そして現在、憲法の番人のようにふるまっている内閣法制局すら国際法を軽んじているとしか思えない状況(詳しくはこちらのブログ)です。これでどうやって国際社会で戦っていけるのでしょうか。

 こちらの本で倉山先生は「国際法はすべての謎を解く最強の武器なのである」と言います。国際法とはどういう物であるかの解説と共に『国際法で読む国別「傾向と対策」』『武器使用マニュアルとしての「用語集」』など、単に知識として学ぶのではなく、この国際法をいかに使いこなし、生き抜いていくのかということが語られます。

 そもそもの問題が、我々が国際法に関して全くまともに学ぶ機会がないことだと思います。国際法と聞いて我々が思い浮かぶものはなんでしょうか。「国連憲章」や「ジュネーブ条約」でしょうか。確かにそれが国際法の一部であることは間違いありません。しかし、私は独学で法律について学んでいた時に、「国際法において、条文に書かれていない慣習法が条文に書かれているものより優先されることがある」ということをテキストを読んでも理解できませんでした。しかし倉山先生が説明されるように「国際法は仁義、つまり約束でできあがっている」という説明を聞くとすっと入ってくるものがあります。つまり我々は法律というと条文で書かれたものと思いがちですが、長年積み上げられてきた慣習から見出されたもの、そこで出来た約束事、見出された法則が慣習法で、それを「国として破る国がいたらその国は文明国として扱われない」それが国際法なのです。そんな大事なものを、就学過程でまともに学ばない。ちょっとぞっとするような状況です。他の国の現状は知りませんが、戦争をひたすら悪だと教え込み、日本国憲法は「戦争放棄」を謳っているから平和憲法だと教えられる。では憲法で戦争放棄と書き込めば本当に戦争は起こらないのでしょうか。

 そもそも国連憲章で戦争は禁止されています。では世界に戦争は無くなったのか?宣戦布告で始まり、講和条約で終結するという戦争は無くなっても、終わりも始まりもわからない悲惨な紛争やテロは無くならないのです。戦争は無くならない、ではその戦争をどうしたら無法で残忍な殺し合いでなく、ルールに基づいた決闘にする。そもそもそれが国際法の一番大切なことではなかったのか。しかし、その国際法が現在大きく歪められています。第二次世界大戦後の東京裁判やニュルンベルク裁判など本来国際法の観点からはあり得ないことが起きてしまいました。一度やってしまったことは慣例の一つになってしまいます。これがどれほど恐ろしいことか、なぜこのようなことになってしまったのでしょうか。

 倉山先生は言います。「われわれ日本人は、人類全体に対する罪を自覚すべきだろう」と。これはどのような意味なのか。勿論、現在日本に蔓延している自虐史観とは全く違う話です。これについて、深く考え、本当に我々日本人がそのことを自覚するために、是非ご一読いただきたいと思います。

 ※こちらの記事は平成28年12月24日に書かれたものです。