それは本音ではなく思いつき?! 西村幸佑 『日本人に「憲法」は要らない』を読んでみた

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 8月9日に出た西村氏の新刊です。

 なぜ、こちらの本を読もうと思ったか。きっかけになったのはこの動画です。

1/3【討論!】日本と世界の暑い夏[桜H28/8/6]

 そもそもタイトルといい、一体何を話すのか?なぜ呼ばれるのかわかっていないのにしょっちゅう出てくるアートディレクターは「暑い」じゃなく「熱い」について語ってるし(悪口ではなく本人が言っている)、後半20分ほどは司会者が最近番組でいつも言っていることをだらだらしゃべり倒す。しかし、その中で著書の紹介と共に、西村氏が驚くべきことを語ったのです。

 (憲法は)いらないって書いてあるんですけど。あのまあ確かにいらないんですけどね。

 憲法とは一体何なのかってものを考えてほしい。

 護憲と改憲っていうそればっかりの論点になると、ダメなんですよ。変なイデオロギー論争のドツボにはまっちゃうんですよ。

 イギリスに憲法がないようにね。日本なんて全く必要がないわけですよ。イギリスよりはるかに長い歴史と伝統があるわけですから。

 護憲と改憲という論点ではなく憲法とは何かを考えて欲しいということには100%同意しますが、日本に憲法は要らない?イギリスには憲法がない?一体何を言っているのかと思うのと同時に、ああ先日の倉山満の砦に書かれていたのは西村氏のことだったのかと。

イギリスには憲法がない? 2016年8月6日

 もしかしたら、西村氏は憲法と憲法典の区別、実質的憲法と形式的憲法の区別がついていないのでしょうか?

 私は現在の憲法論議が空虚になってしまっている理由の一つが、そもそも「憲法とはなにか」についてしっかりした議論がなされていないからだと思っています。よく倉山満先生が使う例えなのですが、氷山全体が「憲法」とすれば、明文化された「憲法典」はその氷山の水面に出ている一部であり、「憲法」とは「憲法典」のみならずその水面下にあるもの、その国の歴史、伝統、文化、いわば国体そのものであること。実質的憲法と形式的憲法の話は、憲法を学ぶ際の初歩の初歩のはずですが、それがきちんと理解されていないために、「憲法典」が憲法の全てであるかのように誤解され、まるで宗教の聖典のように扱われ、誤植1文字も変えることが許されない、あるいは「憲法典」に書かれたことを違えずに守ることを「立憲主義」を呼ぶような捻じ曲げが起こってしまうのではないかと。

 果たして西村氏の新著は憲法論議に一石を投じることが出来るのか?それできちんと読んでみることにしました。

 一応の疑問は序章ですぐに解けました。

P18より引用

 「憲法」の常識、非常識
 憲法とは、簡単に言えば「国家の運営や基本的な取り決めを整理したもの」である。本来は、文章化されているか、あるいは慣習として尊重されているかは問わないが、普通は文章化されたものを「憲法」と言う。
 そう考えると、「国家であれば、そこには必ず憲法が存在する」ということになる。その国の政治体制が「王政」であるとか「共和制」であるとか、「独裁制」であるとか「民主制」であるとかは問わない。

 引用終わり

 西村氏は「憲法」と「憲法典」の違い、あるいは「実質的憲法」と「形式的憲法」の違いは分かっているようです。

 なお、イギリスに憲法がないと言った点についても当然ですが言及がありました。

 P19~20より引用

 イギリスに「憲法」はない?!
 1297年の「マグナ・カルタ(大憲章)」から始まり、1688年の「権利の章典」、2013年に制定された「王位継承法」までの25の成文法(2016年現在)がイギリスでは「憲法的法規」=「憲法」と呼ばれる。つまり、他国のように、ひとつのまとまった法典としての「憲法」はないのだ。

 引用終わり

 この後も続くのですが、結論としてイギリスに「憲法」も「憲法典」もあるのです。それなのに西村氏が「イギリスには憲法はない」と誤解を招くようなことを言い続けるのかわかりません。

 序章だけで、なんというか「雑」な感じがします。表題は本人が付けるのか編集者が付けるのか、どちらにしても本人はチェックしていると思いますが、例えば『「憲法は権力を縛るもの」という定義は、日本ではナンセンス』というのがあります。

 憲法は「国家運営の基本法であり最高法」ですので、(政府)権力を縛るという側面があります。しかし、西村氏が言いたいのはそういうことではなく、長い歴史の中で「天皇親政」時代以外は天皇に権力はない。わが国の憲法(十七条憲法、武家諸法度なども含む)で君主とその制限を明らかにしていないのは、わざわざ言葉で説明するまでもなかったからだ。だからイギリスより古い歴史を持つ日本は国家運営の基礎法典としての憲法を必要としない国だ、と言いたいようです。

 ここではわが国の天皇と民との関係を語っていますが、西村氏も言う通り、天皇は我が国の最高権威であり、天皇から委託されて権力を行使する者は別にいます。それなのにその権力者のことは無視して『「憲法は権力を縛るもの」という定義は、日本ではナンセンス』とはどういう意味なのでしょうか?そして、前にも言いましたが、イギリスには日本国憲法のように統一的な法典になっていないだけで、憲法も憲法典もあるのです。ですからなぜ日本に憲法が要らないかの説明になっていません。

 西村氏は言葉としての形式的憲法と実質的憲法は理解していても、頭の中では理解できていないのではとしか思えません。どちらにしても序章だけ読んでも、この中で使われる「憲法」が実質的な憲法なのかそれとも憲法典なのか理解に苦しみながら読み続けることになります。

 こちらの本はこのような構成になっています。

【目次より】
序 章 【憲法の基礎知識】憲法学者が教えない、「憲法」の“常識”
第1章 【改憲論の問題点】護憲派も改憲派も避けられない“真実”
第2章 【憲法の定義】改めて考える。「憲法」とは何か
第3章 【日本の近代憲法】「大日本帝国憲法」と「日本国憲法」はどう作られたのか

 巻末にも参考文献がありますし、様々な資料を使って書かれたものなのはわかるのですが、なんとも中途半端なのです。この「中途半端」な感じがどこから来るのか。結局西村氏の憲法への理解から来るのではないか。

 この著書のタイトル、『日本人に「憲法」は要らない』ですが、西村氏は本当はそのようなことを信じていないのではないでしょうか。なぜかというと、それをどうやって実現するのかの方法論が全く書かれていないからです。

 「イギリスには憲法がない」、「日本はイギリスよりはるかに長い歴史がある」、だから「日本に憲法は要らない」と言いますが、前にも書いたようにこれだけ抜き出すとひどい誤解を招きます。要はイギリス型の運用にすれば良いのか思われますが、その割にはイギリスの憲法の運用に関する記述があまりに少ない。この分量では、イギリスがどのように憲法を運用しているのか理解するのは難しいでしょう。

 そして、おそらくこれが西村氏の本音だと思われることが、あとがきに書かれています(先に上げた動画でも実は言っている)。憲法9条2項を《前項の目的を果たすため、我が国は国防軍を保持する》と変えるだけで当面は十分だそうです。何のことはない、西村氏は9条さえ守れば日本は戦争をしないと言っているお花畑の条文至上主義者と何ら変わることはないわけです。自衛隊関連法が何も変わらなくても、あるいは予算が増えなくても、憲法に「国防軍を保持する」と書けば何かが変わるのでしょうか?そもそもどうやってそれを実現するのでしょうか。そのような改憲案を今の国会で発議できるとでも本気で思っているのでしょうか。

 あらゆる資料を使っていろいろ考察したところで、すっかり台無しというか、そもそも他国の憲法との比較や、帝国憲法、日本国憲法の制定過程について書かれている本は他にいくらでもあるのです。ではなぜ「憲法は要らない」のか。日本が統一的憲法典を採用しないとして、何をその一部とするのか、日本国憲法も帝国憲法も採用するのか、そこに矛盾は生じないのか。どのようなものを判例として使うのか。そしてどのように運用するかの説明ぐらいあっても良かったかと思います。

 これで憲法に関する議論は今までのものと違ったものになるのか…。ならないでしょうねえ。結局、西村氏が何の意図でこの本を書いたのか、理解に苦しむような内容でした。

 ※こちらの記事は平成28年8月21日に書かれたものです。