今更ながら安倍談話について~倉山満「歴史戦は『戦時国際法』で闘え」と中西輝政「外務省に奪われた安倍外交」を読んで

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 本当に今更ですが、前回の感想に加えて安倍談話について語りたいと思います。最初に談話を聞いたときに感じた事。「あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません。」この言葉は良かったかなあ。と、しかし、この談話の中で使われた「民族自決」の言葉に、なぜこの言葉を使わなければならなかったのかと思いました。

 その後こちらの報告書を読みました。
20世紀を振り返り21世紀の世界秩序と日本の役割を構想するための有識者懇談会(21世紀構想懇談会)

 ざっくり読んだ時の感想をFBにこのように書いています。「とりあえずアメリカ様とウィルソン様が素晴らしいと言いたいようです。そしてとにかく日本が悪いと。」そして、この投稿にコメントを頂いた方にこのように返信していました。「暗澹たる気持ちになりますね。これが有識者とは。こうでなければ、学界では生き残れないし、政府内で発言もできないということなんでしょうね。逆に首相談話がよくあの程度で済んだものだなと思います。」

 「民族自決」という言葉ですが、倉山先生の著書ではレギュラーメンバーにもなっているウッドロー・ウィルソンが唱えたものです。一見、当然のことのようにも思えます。しかし、そもそも民族とは何でしょうか。人種とは意味が違います。これは日本人には非常にわかりづらい言葉ではないでしょうか。倉山先生はこのように説明します。

「歴史戦は『戦時国際法』で闘え」(P18~19)より引用

「Nation」というのは、主権国家を持つ意志と能力を持つ集団のことをいいます。
「Ethnic」は、主権国家を持つ意志と能力を持たない集団です。
 人種なら、肌の色で区別がつきます。部族なら血統、つまり誰と誰が親子関係にあるかという血縁関係で区別がつきます。自然科学的に説明できることです。
 けれど、「民族」という場合、「Nation」なのか「Echinic」なのかで、最終的には実力で解決するしかないのです。つまり殺し合いで決着をつけるしかないのです。

(引用終わり)

 これが大袈裟ではないことは、倉山先生の著書『真・戦争論 世界大戦と危険な半島』を読んでいただければよくわかります。バルカン半島で繰り広げられている民族主義の激突。あの悲惨なユーゴ内戦のことは記憶に新しいことかと思いますが、「民族自決」の言葉でこのようなことが正当化されることがどれほど恐ろしいことなのか、お分かりいただけると思います。

 こちらは私のブログでも感想を書いていますので、ご参考までに。と言いつつも、この回の感想はどちらかと言うと、なぜ倉山先生の本は読みやすいかの解説ですが。

検索 危険な半島 倉山満 「真・戦争論 世界大戦と危険な半島」 感想

 民族問題が深刻でない日本であっても、「アイヌ」や「琉球」を取り上げる人たちがいます。彼らは日本人とは別の民族で、特に琉球は日本とはもともと別の国なので独立すべきだ言います。そもそも沖縄が日本ではないということの事実関係にも疑義がありますが、本当に独立したらどうなるのでしょうか。独立派の方たちの主張を聞くと、大体が米軍基地は撤退して、非武装で独立する。軍事基地があるから紛争が起こる、などと言っています。中国が尖閣だけではなく沖縄まで自国の領土だと主張することがある今、沖縄独立を叫ぶのは国を売り飛ばすこと、チベットやウイグルと沖縄が同じことになっても良い、と言っているようにしか聞こえません。

 なぜ安倍談話でこのような言葉を取り入れなければならなかったかというと、さっき上げた有識者懇談会座長代理・北岡伸一大先生様の主張全開の報告書が元になっているからにほかならないのでしょうが、わざわざ琉球独立派を元気づけるような、そして国際社会からこの問題に対して突っ込まれるような言葉をあえて、使うことは無かったのではないかと思います。

 安倍談話に関してこちらの本の中で、有識者懇談会のメンバーである中西輝政氏の「Voice」の論文「外務省に奪われた安倍外交」についても言及があります。中西氏によると、「安倍談話」の英文は「村山談話」と対して変わりがない内容なのだそうです。

 中西氏の指摘する問題点は主に3つ。

 一つ目は、「事変、侵略、戦争。いかなる武力の威嚇や行使も、国際紛争を解決する手段としては、もう二度と用いてはならない(Incident, aggression, war – we shall never again resort to any form of the threat or use of force as a means of settling international disputes.)」の「もう二度と」と言う箇所。この「もう二度と」という言葉のせいで、明らかに「一度は侵略した」と日本政府が公式に認めたことになってしまう事。

 二つ目は「先の大戦における行いについて、繰り返し、痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明してきました。(中略)こうした歴代内閣の立場は、今後も、揺るぎないものであります」の「揺るぎない(unshakable)」という一語。
 「歴代内閣の立場を継承します」とだけ言っていればよかったものを、村山談話や小泉談話で継承表明された日本の立場を単に引き継ぐのではなく、日本国の「国是」として確固たるものにするような意味になってしまうとのこと。

 そして三つめは「あの戦争には何らかかわりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません。しかし、それでもなお、私たち日本人は、世代を超えて、過去の歴史に真正面から向き合わねばなりません。謙虚な気持ちで、過去を受け継ぎ、未来へと引き渡す責任があります」こちらの「しかし、それでもなお(Still, even so)」逆説を意味する接続詞「しかし、それでもなお」が入ることによって「謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません」は打ち消され、否定されるのだとか。

 詳しいことは、是非Voiceの方でお読みいただきたいのですが、これを言いがかりだと思いますか?それほど慎重にやらなければプロパガンダでやられてしまうと言うことです。もちろん、それを跳ね返すだけのことを日本が出来れば別なのでしょうけど、それをやれているようにはとても見えません。

 安倍総理の応援団である中西氏がメンバーにいてなぜこのようなことになってしまったのか。会議の委員構成上結局所謂安倍派は14対2の圧倒的な少数派だったそうです。そんな中でも何とか、日本の戦争が「侵略」でなかったことを後世に示すことが出来たと中西氏は言います。それが先ほどの報告書にあったこちらの注釈です。

1 複数の委員より、「侵略」と言う言葉を使用することに異議がある旨表明があった。理由は、1)国際法上「侵略」の定義が定まっていないこと、2)歴史的に考察しても、満州事変以後を「侵略」と断定する事に異論があること、3)他国が同様の行為を実施していた中、日本の行為だけを「侵略」と断定することに抵抗があるからである。

 しかし、ここでの中西先生の尽力もむなしく、北岡大先生様はそれをぶち壊すような会見をしています。

北岡伸一 国際大学学長 2015.8.31

気になった発言を抜粋

 総理は「日本が侵略をしてないとは私は一度も言っておりません」と何度も言っておられるんですよね。じゃあこれは一歩進めて「侵略した」と言ってくれないかなと。そうすると国際社会の通りも良くなるんだけど。

 侵略とは何か。軍隊を送り込んで、大量に多数の人を殺して、財産を奪いとって、主権を制限して、ひどいことをした。それは侵略と同じではないでしょうか。       

 (侵略と言う言葉に対して)国際法だけではこれはちょっと微妙な問題が生じる。なぜなら現在は侵略は違法ですから、侵略したら制裁が科せられるわけです。

 普段国際法に何の関心もない、国際法の「こ」の字も知らない人が、国際法上定義がないから侵略と言う言葉を使っちゃいけないと言う人がいますがまあ笑止千万であります。

(抜粋終わり)

 北岡大先生様は安倍総理に対して「侵略」と言う言葉を使ってほしかったようですが、なぜここまで、日本(だけ)が悪かったことにしたいのでしょうか。そもそも2番目の文章の侵略の定義が正しければアメリカも侵略国家です。そして最後の文章ですが、これは中西氏をバカにしているとしか思えません。

 今の外交上、国内上の問題を考えれば確かに安倍談話は安倍総理の出来る精一杯だったのかもしれません。しかし、だからと言って支持者がそれを受け入れ何も言わないことが本当に安倍総理のためになるのでしょうか。それこそ、中西氏の言う通り、この程度でいいのだと政府にも反対勢力にも思われることになるのではないでしょうか。前々回書いた経済政策にもつながると思います。これでは、なんでも反対の人たちの方にばかり総理や政府は目を向け、本当に応援している人たちの言葉に耳を傾けないことになるのではないでしょうか。支持者が建設的な批判をすることは大事だと思います。そういう人に石をぶつけるような真似をする人が何をしたいのかわかりませんが、敵と味方を見誤ることの無いよう気を付けたいものです。

※こちらの記事は平成28年5月23日に書かれたものです。