倉山満 お役所仕事の大東亜戦争 感想

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 今回は(も)力作です。331ページで1200円(外税)とはなーんてリーズナブル!

 倉山先生の大東亜戦争に関する本は単著では4冊目になると思いますが、今回は大日本帝国の統治機構や内閣の変遷を踏まえて語られます。元老の役割、衆議院との関係、宮中、陸軍、海軍、官僚機構などの間にどのような力関係があるのかを知ることで、単純に出来事だけを追っていたのでは見えないものが見えてきます。この辺が、単に歴史だけではなく、憲法、政治学の研究をしている倉山先生の真骨頂とも言えます。

 大東亜戦争は「侵略」だったのか、それともアジア解放のための「聖戦」だったのか。倉山先生はそれを「お役所仕事」と断じ、それが「賢人の知恵」を使って説明されます。「賢人の知恵」。それは倉山満先生の中央大学弁論部・辞達学会の先輩、上念司先生により、いかなる正論も封殺して理不尽を押し通せる応答パターン集としてまとめたものだそうで、大東亜戦争に至る政府のグダグダぶりがそれで説明されています。

 ここで詳しく書くよりも、この「お役所仕事の大東亜戦争」はチャンネルくららでも番組を作られているので、それで見たほうがわかりやすいかと思います。爆笑ものです!

 ちなみにインターネット放送で一番最初に「賢人の知恵」が発表されたのがおそらくこれ。笑えるのですが、今の状況を思うに微妙に泣けてきます。

【アーカイブ】上念・倉山・浅野、消費増税とアベノミクス偏向報道を語る[桜H25/8/21]

 日露戦争以降の日本人は何が変わってしまったのか。戦時なのにも拘わらず、平時のルーティーンと変わらない人事が繰り返される。本当に日本は真面目に戦争をやる気があったのか。日本は侵略戦争をやった悪い国だという人がいますが、それはある意味過大評価です。人事のみならず、敵に命を狙われているはずの連合艦隊司令長官のその日の行事日程を分刻みで作り、大事なことだからと二回も電報を送るとか殺してくれと言わんばかりの行動です。それで暗殺された山本五十六が長官になった理由というのも、三国同盟に反対していた山本が民間右翼に暗殺されないように海上に送り出したという本当にいい加減なもので、こんな日本が軍国主義の侵略国家だったと言われても、いっそその通りだったら戦争に負けていなかったのではないかと思うのです。

 読んでいて「これはいつの時代の話なのだろう」と思ったのが、第三章第二節の田中義一内閣の時、1927年に起きた「南京事件」で南京に入城した蒋介石の北伐軍が各国領事館を襲撃して、被害を受けたアメリカとイギリス軍は艦砲射撃で報復したにも関わらず、日本は「それでは中国の顔を潰す」「今、日本が反撃すれば、かえって虐殺を誘発するかもしれない」と艦砲射撃に参加しなかった。いわゆる幣原軟弱外交と呼ばれるものですが、この軟弱な対応、これと同じような状況にしたのが現在、平和安全法案を「戦争法案」とレッテル張りし、拉致被害者のことなど全く無視して「日本が平和なのは憲法9条のおかげ」と言い、自衛隊や集団的自衛権を違憲だと叫び、「米軍は出ていけ」と言っている人達ではないでしょうか。この時、きちんと反撃をしておかなかった結果どうなったか。その後も日本人居留民への襲撃などは繰り返され、世論も激高し、泥沼の支那事変につき進んでいくことになりました。反論、あるいは反撃しておくべき時にしておかなければ何が起こるか。こういった歴史的事実があるにもかかわらず、今ある危機に対処することを止めようとする人たちは、本当はこれと同じことを繰り返させようとしているのではないかと思わざるを得ません。

 倉山先生の本は読後に気持ちの良くなるものではありません。正直商売としては損なやり方をされる方だと思います。散々、「お役所仕事」の政府の対応で戦争に突き進んでいく話が語られた後、「おわりに」で斎藤隆夫代議士のいわゆる「反軍演説」が引用されています。内容は、世界は徹頭徹尾力の論理で動いていること、聖戦の美名で国家百年の計を誤るようなことをしてはならないこと。そして長引く支那事変を政府はちゃんと終わらせるつもりがあるのかと説いています。この反軍演説が行われたのが1940年の2月2日、その年の3月7日に斎藤は除名されています。

 「正論が封殺されたときに国は亡びる」倉山先生が繰り返し口にする言葉ですが、この演説を読んで、そしてその後斎藤が除名されたことを知るに泣けてきます。前回ブログに挙げた「ネオ東京裁判 掟破りの逆15年戦争」のテーマにも通じることですが、どの時点がポイント・オブ・ノーリターンなのかは後になってみなければわからないことかもしれません。しかし、その時に間違わないためにも歴史を学ぶことは大切なのだと改めて思い知らされました。

 ※こちらの記事は平成27年8月30日に書かれたものです。