上念司 倉山満 説教ストロガノフ ネオ東京裁判 感想

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 説教ストロガノフももう3冊目。今回はチャンネルくららで放送された「掟破りの逆15年戦争」の書籍化です。

戦後70年特別企画「説教ストロガノフ 掟破りの逆15年戦争~戦争責任とは敗戦責任である」

 今回は、ポツダム宣言を受け入れた1945年から、満州事変が勃発した1931年までを新しい出来事から辿ってゆき、なぜ日本は亡国への道を歩んでしまったのか、どの時点なら最悪の事態を回避出来たのか、そして真の敗戦責任は誰にあるのかを探るという新しい試みです。お二人のお話は一見楽しげなのですが、さすがに内容が内容だけにちょっと重い感じです。去年も「じっくり学ぼう日本の内閣」で近衛内閣を扱って、げんなりしていましたね。

じっくり学ぼう日本の内閣:近衛内閣「歴史に学ぶ日本の滅ぼし方講座」

 この季節になると、毎年敗戦の悲惨な話をどこのテレビ局でもやるので、うんざりしてテレビをつけるのが嫌になります。両先生のお話は、テレビでやっているような、戦前の日本は悪い国で、軍部さまという悪い人たちがいてという話ではなく、なぜ日本は戦争に負けたのか、そもそも何でこのような戦争をすることになってしまったのかということを突き詰める作業になっていて、これもなかなかつらいものがあります。しかも、決定的に悪い人がいるというよりも、戦時なのに普段のルーティーンで仕事をしていたり、司令官にすべきではない人を司令官にし、外務大臣になってはいけない人が外務大臣になり、この人だったらこの事態を食い止められたのではないかという人は排斥され、和平工作がうまくいきそうになると潰されるという、何とも情けないような話ばかりでなのです。もちろん、コミンテルンの謀略などもあるのですが、政党政治の腐敗や学歴エリートたちの間違った政策の判断などそれ以外にも大きな原因があるようです。

 この辛い歴史をこの季節になったら繰り返すことを、上念先生はユダヤ教における「過ぎこしの祭り」に例えています。この祭りは一通り終えるには6時間以上かかるらしいのですが、ユダヤ人は昔、エジプトから命からがら逃げた「出エジプト記」のつらい体験を追体験することで、頑張ろうという気持ちを新たにするのだそうですが、それをわれわれ日本人は近衛文麿でやったら良いのではないかと。そのためには、ただ戦争の悲惨さを語るだけでなく、やはり正しい意味での先の大戦への反省が必要ですね。

 対談中、倉山先生が解説をし、時に上念先生に「この時、総理だったらどうしますか?」などと話を振るのですが、上念先生の「ぶん投げる」「特高警察を使って抑え込む」「転んだふりをしてタックル」などの答えで、どれほど事態がひっ迫していたのかが計れます。この回答を「ふざけている」と思われる方もいるかとは思いますが、そうでもしないと国を守れない、逆に国を守るためなら何でもしなくてはならないのだとの思いを感じます。

 経済評論家の上念先生と財務省の歴史に詳しい倉山先生が語るだけあって、予算に対しての軍事費の割合も見ながら当時の出来事が語られます。日本が増税無限ループに入り込んで軍事費がどんどん増加しだすのは二・二六事件後の馬場鍈一が蔵相になってからです。なぜかこれを高橋是清のせいにする勢力があるようですが、それは歴史歪曲に他なりません。高橋是清は軍事費を削減しようとして、軍の恨みを買い、最後は暗殺されてしまったのですから。少しでも調べればすぐに間違いだとわかることが、通説にされてしまっている。誰の都合でこのようなことになっているのでしょうね。

 歴史というものは当事者が生きているからわかる事、後になって様々な資料が発見されてからわかるものなど、様々な方向から見なければ本当の姿は見えてこないものなのでしょう。今回のこの対談にも通ずる「お役所仕事の大東亜戦争」がチャンネルくららで放送中で、すでに書籍にもなっています。そちらの感想も近々こちらのブログに掲載予定です。我々が真の敗戦の反省をするために、まだまだ学ぶことはたくさんありますね。

※こちらの記事は平成27年8月7日に書かれたものです。