倉山満 負けるはずがなかった!大東亜戦争 感想

NO IMAGE

 前作「大間違いの太平洋戦争」からひと月もたたずに新刊。感想を書くのが追いつかないこの頃。またまた結構衝撃的なタイトルの本作。

 「大間違いの太平洋戦争」は日英関係を軸に見て大東亜戦争を語るものでしたが、今回の作品はロシア、主にスターリンからみた日本及び大東亜戦争が語られます。同じ時期の歴史でも、視点を変えることでまた違った様相が浮かび上がります。

 明治維新の頃、海のチャンピオン大英帝国の覇権に挑戦する大国だったロシア。その頃は歯牙にもかけない存在だった日本は、めきめきと頭角を現し、物量、軍事力ともに勝てるはずのなかった日露戦争に勝利し、第一次世界大戦後には大国の地位に上り詰め、世界最強の帝国陸海軍を持つまでになりました。しかし、実際の大日本帝国の内部は日露戦争後中心がなくなり、外交の失敗の連続で孤立を深めていきます。そして泥沼の支那事変。支那事変が終わらないまま、大東亜戦争へと。

 とにもかくにも、失敗なのは大戦略がなかったことだと思われます。帝国陸海軍は現場が優秀でそれぞれの局面での戦術はあり、戦闘は強いのですが、支那事変も大東亜戦争もどうやって終わらせるかが明確に見えない。和平工作をいろいろやってはいるもののどれもおかしな作戦、あるいはまともなことをするとそれがつぶされる。どうしたらこれで終わらせることができるのか。上の人達は何を考えていたのか。やはり一番謎なのが、近衛文麿の行動。しかもこの人が三回も首相をやってしまうという不思議。これは民主党政権やその間のとんでもない三人の首相を出してしまった現代を生きる我々にも通ずるところもあるのかもしれませんが、なぜこのタイミングでこの人が首相なのか。あの震災の時、菅直人氏が総理として不適切なことは誰でも思ったことだと思いますが、なぜ近衛文麿のような人物が当時はこれほどまでに人々の信頼をえて、政権の中枢にいたのでしょうか。そして、なぜ彼があのような行動をとったのか。今後の研究が待たれるところです。

 個人的には第四章第四節の外務省の無能ぶり、そしてそれを正当化している人たちやその後の歴史観を作ってきた人たちが何者かを知ると怖ろしいものがあります。私たちがまともな歴史観を持つためにはこういった事実がもっと知られるべきだと思います。ところどころに絶対読むべきお薦めの作品、並びに読むべきではない作品(笑)、が紹介されているのもうれしいところです。

 この本は、もともと「君にも勝てる 大東亜戦争」というタイトルで、発売されると聞いていました。それが「負けるはずがなかった!大東亜戦争」に変更されました。インパクトとしては「君にも勝てる」の方が強いのでは?と思っていたのですが、タイトルが変更された裏には、倉山先生の強烈な怒りにも似た思いが込められています。なぜ負けるはずがなかったのに負ける戦争をしてしまったのか。

 私たちはいつも戦争をしてしまった反省ばかり強いられています。決して、負けたことの反省、次に勝つための反省をさせてもらえないのです。このことが日本が主権国家としてあるためにどれほど有害なことか、わかっている人がどれほどいるのでしょうか。戦争で亡くなった方たちは、今のこのような国になってしまった日本を見るために戦ったのでしょうか。

 この本は敗戦の日である8月15日に読み終わりました。この日は終戦の日ではなく、占領軍にとってはここからが本番で、憲法や教育を根本から変えさせられ、日本は徹底的に戦えない国へと変貌させられてしまいました。私たちが自分たちでこの国を取り戻すために、変えなくてはならないこと、考え学ぶことがいかに多いことか。安倍首相のいう「戦後レジーム」脱却は、安倍政権が数年続いたからといって到底なしうるものではありません。この本はそのために何をすべきか考える一つの道しるべになるものだと思います。

 ※こちらの記事は平成26年8月19日に書かれたものです。